故大澤武彦君のお墓参り
桜の花が咲き出す陽気になりました。お元気でしょうか。鎌倉は人出で大賑わいでしたよ。
本日は1組小島宏子さんと品川駅で合流して、鎌倉駅には11時の集合時間の30分前に到着。
「煙草が吸いたくて」駅前の喫茶店に入りました。そこから大沢達くんと須藤さんの携帯に電話しましたが、(車中のためでしょう)応答なしでした。
2本目を吸っていたら大沢くんから着信。「改札正面で待っている」、「わかった、間もなく行く」と言いながら残りのコーヒーを飲んでいたら「全員揃いました」と着信。年寄りは時間厳守です。(11時5分前くらい)
2台のタクシーに分乗して「扇ヶ谷」(オオギヤガツと読みます)の薬王寺に向かいました。ご承知のように鎌倉は平地がすくないため、山に向かって寺院があります。お寺さんに「大澤さんのお墓は?」と尋ねると、すぐそこの一番大きなお墓です、と言われた。お線香を買おうとしたら、藤森さんが「あっ、持って来たから」(しっかり者です)。線香に火をつけて墓石をみると「大澤家」ですが、武彦くんの刻字がありません。おかしい。大沢くんが案内係のおばさまに確認したら、プロ野球の大澤オヤブンの墓だそうでした。再度お寺さんに訊きましたら、武彦さんの墓は山のてっぺんの一番奥にあるとのこと。事前に都世子夫人が言われていた説明を思い出しました。
「おい、大澤、やっと来たよ」と声をかけ、大国、大沢、小島、須藤、藤森の参加メンバーも彼の冥福を祈りました。小さな所に入ってしまった大澤くん。
帰りはブラブラと歩きましたが、道々に旧蹟が結構あります。お腹も空いてきましたので途中で小さなレストランで食事をしながら、須藤さんが落合第四小学校で6年間同クラスだった話を、藤森さん彼が理科大に8年間いたこと、小島さんがドラムを叩いていたこと(余りしゃべるな、と言われたらしい)を齊藤が昨年2月代々木で鍋を囲む会と称して誘いだしたのは、相当辛かった時期なんだ、と懺悔。
では、30日の幹事会で会いましょう。 齊藤
(編注: 2013年3月20日 20:54に「青校37幹事」メーリングリスト宛てに発信されたメールを一部分編集して転載)
東日本大震災から2年が経つのと同じくして、14期会幹事団結成も2年を経過します。暮れにお伝えしましたが、大澤武彦さんが闘病空しく亡くなられました。「古希の会」 の準備会合に先立って、お彼岸に墓参に行こうと思います。ご都合のつく方は参加して下さい。
3月20日(水)11:00 鎌倉駅改札口集合
薬王寺 鎌倉市扇ヶ谷3-5-1 (駅から徒歩15分くらいだそうです)
墓参後に駅周辺でランチを食べて帰りましょう。
以上です。 斎藤
(編注: 2013年2月17日 23:26に「青校37幹事」メーリングリスト宛てに発信されたメールをそのまま転載。薬王寺のホームページは こちら)
大澤武彦君を送る
さよならはキングコールのトゥーヤング
ぼくらのままできみは逝ったね
オオサワタツオ
(編注: 2012年12月27日 10:13に「青校37」メーリングリスト宛てに発信されたメールをそのまま転載)
大澤武彦さん、お見送りに行けなくてゴメン
大澤武彦さん、お見送りに行けなくてゴメン。
12月8日の弊両親の法事に始まり、大学同期会、昔の上司の葬儀ミサを終えて、帰郷して訃報を聞きました、すぐやる課の大木もさすがに立ち上がれず、昨晩ありあわせで申し訳ないが、献杯で失礼しました。
ゆずの香を焚き、
酒は白鶴の辛口。
肴は
・メカジキの煮付け生姜添え(自作の「手書き蛸唐草」長角皿)
・里芋親芋、こんにゃく、油揚げの炊き合わせ七味添(「笠間焼」向付)
銚子は「薩摩霧島焼」。
氏の杯は、小さな「久谷」で、見込みはべんがらの赤の上に金を乗せた帯が
底まで続き、杯の表と底には
宝雲を従えて天高く上って行く麒麟が御須の藍で
描かれているものです。
合掌
冬至の晩 大木 節子拝
大澤さんを偲ぶ (大木節子)
大澤さんとは、この幹事会からのお付き合いですが、初日激論を交わしてから通じるものがあったのか、お酒を通して真摯で英国的なユーモアをもった人柄を知りました。短いお付き合いで残念です。みんなで追悼宴会をやりませんか?
以下は昨年の今頃、やりとりしたメールです。
再録して大澤さんを偲びたいと思いお送りします。
記
2011年12月15日付け原文まま
大木 さん
即効返信に、遅行返信となりましたこと失礼しました。
いい天気ですね、今日は佐倉も伊勢原も気温は15度ぐらいと割りと、温かいのではないでしょうか。
今日も、野良ですか?
今年は小生には暮れも・師走もありませんが、唯一つ師走・暮れをかんじたことがありました。
新宿花園神社の熊手売りの掛け声を聞いたことです。
大木さんに感謝です。
年明け、きりたんぽ鍋でもつつきましょう。
例の天体SHOWですが、23:00頃には、月は病院の真上にあったようで、神秘を見届けることはできませんでした。
治療ですが、現在脳へ転移癌は放射線でたたいています。
脳以外に転移しているかも知れない転移癌には抗がん剤治療をする方針だそうです。
今度、皆さんとお会いするときは”SKIN HEAD”でしょう。
今回は12/20(火)に退院して、26日頃から会社へ行こうと思っています。
夏になったら、大木さんのはたけで”GREEN BBQ”なんかをしたりして。
これも、次回の同期会開催の種まき効果の一つになるかも。
今度のコンセプトは”古希・ソフト”?
おおさわ 東海大学病院
大澤さんへ
おはようございます。(いろいろあって昼近くになってゴメン)
順調な回復ぶりでひと安心しました。
これからはムリしないで、じっくり向かい合うことになるのでしょうね。
(11月25日も変調を感じておられた中で、打ち上げ会に参加されていたことを
思うと、余計そう思います)
世間は冬真っ盛りで、郷にいる当方は、冷凍庫にいるような毎日です。
今年は畑仕事が遅れて、空豆や絹さやが育っていません。
ガーデンセンターで、絹さやの苗がバーゲンだったので(悔しいけど)購入、
昨日植え込みに入ったら、蒔いたヤツの目が出始めているのを発見。
買ってしまったので、他の畝に植えました。
畑仕事は重労働なのですが、スポーツと同じで、終わった後の爽快感は最高です。
昨夜は皆既月食でしたよね。11時半過ぎに、思い切って厳寒の外に出ました。
(曇りの予想に反して)晴天。天頂近くに欠けた月がかかり、
その下方に大オリオンがしっかりと輝いていて、他も星星も健在、正に幻想の世界でした。
風もなく、しばらくは雲もかからず、天然のプラネタリウムを満喫しました。
うまく撮れ(るわけない)なかったけど、写真(わかるかナー)を送ります。
病院では退屈でしょうから、疲れない程度にパソコン使って、いままで考えなかった
ことにでも挑戦してください。
元気になったら、荒木一郎の歌でも合唱しましょう。
今日も畑仕事に挑戦予定の
大木より
(編注: 2012年12月22日 14:03に幹事宛てに発信されたメールをそのまま転載)
大澤さんへ
おはようございます。(いろいろあって昼近くになってゴメン)
順調な回復ぶりでひと安心しました。
これからはムリしないで、じっくり向かい合うことになるのでしょうね。
(11月25日も変調を感じておられた中で、打ち上げ会に参加されていたことを
思うと、余計そう思います)
世間は冬真っ盛りで、郷にいる当方は、冷凍庫にいるような毎日です。
今年は畑仕事が遅れて、空豆や絹さやが育っていません。
ガーデンセンターで、絹さやの苗がバーゲンだったので(悔しいけど)購入、
昨日植え込みに入ったら、蒔いたヤツの目が出始めているのを発見。
買ってしまったので、他の畝に植えました。
畑仕事は重労働なのですが、スポーツと同じで、終わった後の爽快感は最高です。
昨夜は皆既月食でしたよね。11時半過ぎに、思い切って厳寒の外に出ました。
(曇りの予想に反して)晴天。天頂近くに欠けた月がかかり、
その下方に大オリオンがしっかりと輝いていて、他も星星も健在、正に幻想の世界でした。
風もなく、しばらくは雲もかからず、天然のプラネタリウムを満喫しました。
うまく撮れ(るわけない)なかったけど、写真(わかるかナー)を送ります。
病院では退屈でしょうから、疲れない程度にパソコン使って、いままで考えなかった
ことにでも挑戦してください。
元気になったら、荒木一郎の歌でも合唱しましょう。
今日も畑仕事に挑戦予定の
大木より
(編注: 2012年12月22日 14:03に幹事宛てに発信されたメールをそのまま転載)
大澤君の映っている動画
皆さんへ
大澤君の映っている動画を送ります。昨年の9月16日に代々木の駅前で撮ったものです。その後、居酒屋へ行きました。まだまだ元気が溢れていました。
(編注: 動画は こちら をクリックしてご覧ください)
彼から最後に来たメールは今年の7月30日でした。その数日前に、彼の会社の幹部に送ったメールが、宛先を間違えたのでしょうね、当方にも入っていて、そのコメントへの返信でした。
元メールでは、会社と彼の部下の方達、そして奥方に対する深い思いが溢れていました。既に、最後は自覚していたのでしょうね。それ以前にも、かなりのメールを受け取っていますが、とにかく皆に会いたい会いたいと。期待に応えていなかったこと、忸怩たる思いです。
8月2日の幹事会には出席します、と書いてあったのだが、残念ながら当日は欠席でした。今年いただいた年賀状での手書きのメッセージが、
「大変 お世話になりました。」
でした。とんでもない、大変お世話になったのは私たちでしたよ。
中島
(編注: 2012年12月21日 23:19に「青高37」メーリングリストを通して発信されたメールをそのまま転載)
大澤武彦君を送る
Too Young
(大澤武彦君を送る)
高校時代に君との付き合いはなかった。ただ君が成績のよい大澤(武彦)だとは知っていた。校内に貼り出される模擬テスト成績優秀者のなかに大澤の名があった。
僕(大沢達男)は友人たちに誤解され「オオサワ、すごい!」とほめられたものだった。君は成績の良い大澤武彦で、僕は成績の悪い大沢達男だった。
青校14期卒50周年記念パーティの準備会で君と再会した。再会ではない。君と初めて話した。そして君は、僕が広告会社「電通」の出身だと知ると、「ボクの息子も電通に勤めていましてね」と自己紹介した。
君と僕のドラマはパーティーの準備をしているときに起こった。司会役の僕は、パーティーの台本を作り、打ち合わせのたびに変更に合わせて、何度もナレーションの原稿を書き換えていた。
そして最後の詰めとして、オープニングのスピーチをする斉藤、乾杯の音頭をとる奥山、そしてクロージングのスピーチをする君(大澤武彦)にスピーチ原稿を見せてくれと頼んだ。もちろん、つなぎのナレーションの準備とパーティー全体の構成を考えてのことだったが。
そこで僕は大きな失敗をしてしまった。
君のスピーチ原稿にNO!を出したのだ。
感謝の気持ちと友情の心に溢れた君のスピーチはいかにも長過ぎた。情感たっぷりもいいだろうが、クラスメートの友へのメッセージとしては事務的で事実を伝えるのがふさわしいと思ったからだ。
斉藤と奥山のスピーチは事実を語る簡素なものだった(その方が感動を誘う)。そこで僕は君にNO!を出すだけでなく、新たな原稿案まで君に送ってしまった。
君の返答は僕を驚かせた。
「僕は僕の信じることに従って言いたいことを伝えます」という、趣旨のものだった。
僕は後悔した。君を怒らせてしまった。成績の良い大澤が考えたスピーチを、成績の悪い大沢がチェックする。
ありえねえ。
告別式の祭壇には、ソニーロエインズ「サキソフォーンコロッサス」、チックコリア「ケルン・ライブ」が飾ってあり、驚いた。
まず君の趣味の良さ。つぎに30~40年前の音楽を愛しつづける君の誠実な人柄だ。
そしてもうひとつ驚いたことがある。祭壇左側にあった「ナットキングコール」だ。
君とは仲間とカラオケに一度だけ行ったけど、病気のせいもあったろうけど、君はダメだった。
僕は、斉藤(96点)、飯川(95点)、大沢(90点)の青山カラオケ3兄弟だ(カッコ内は、先日栃木ゴルフ大会でのカラオケ点数。ゴルフのスコアではない)。
君が僕を呼んでいることに、告別式のときに気がついた。なぜか僕は、最近ナットキングコールをよく歌うようになった。君が歌わせていたんだ。
そして思う。
『Too Young』
若すぎる。
年の暮れいい人だけが逝くみぞれ雨
平成24年12月21日 冬至
大沢達男
追伸:
ご令息は、電通の営業局にご勤務なんですね。いつかどこかで、君と僕そしてご令息とお話ししましょう。そして「スピーチ原稿」のことを話題にさせてください。
ご令息は激怒する君に微笑み、クリエーター・大沢達男の出しゃばりに、拍手するに違いありません。
(編注: 2012年12月21日 11:12に「青高37」メーリングリストを通して発信されたメールをそのまま転載)
大澤君、さようなら
14期会の皆さま
病との闘いを約1年続けていた大澤君の通夜に大沢達、奥山、小川直子と共に参列してきました。
昨夜の鎌倉は刺すような寒風が吹いていました。霊前には彼がこよなく趣味にしていたジャズの歌手の写真に挟まれて、生前の人懐っこい笑顔がありました。在校中は全く縁はありませんでしたが、10数年前に新宿の中村屋でやったミニ同期会が彼との出会いでした。大木節子さんに誘われて、ゴールデン街の狭いバーで隣り合わせましたが、笑顔がいい男でした。それから暫く没交渉でしたが、2年前に小川直子さんを通じて「相談に乗ってほしい」という連絡があり、五反田で1時間ほどあれやこれやの話をしたのです。その後は、昨年開催した同期会の幹事として共に行動したのです。
円満でユーモアセンス豊かな人柄は、病に冒されていなければ、類稀なリーダーになる男でした。
今年の2月、彼を激励しようと「鍋を囲む会」を代々木で開いたとき、抗がん剤のせいで自慢の口髭も髪の毛もなくなった姿で現れました。本当は寒い夜に出かけて来る状態ではなかったのかもしれません。殆ど飲食はしませんでしたが、「皆に元気をもらった」と笑顔で帰りました。
都世子夫人と昨日の帰り際にお話しをしました。「同期会のことは、主人も張り切っていたし、本当に楽しそうだった」と言われていました。また、10月以降に面会を断ったことを気にされて、皆さまにお詫びを伝えてほしい、とも話されましたので「みんな理解していますよ」と申し上げました。
今日でお別れです。大澤君、さようなら。 齊藤
旧5組の大澤武彦君の訃報
14期の皆さま
昨年11月の同期会で中心的幹事であった大澤武彦君が16日に亡くなりました。
同君は同期会開催後の年末から体調を崩し、以後入退院を繰り返していましたが、回復に至りませんでした。
通夜は19日18:00~19:00
告別式は20日11:00~12:00
鎌倉市御成町3-5 カドキホール 0467-24-4455
喪主は大澤都世子夫人
以上お知らせします。
14期会幹事長 齊藤 繁
(編注: この訃報は、2012年12月17日 23:16に「青高37」メーリングリストを通して発信されたメールをそのまま転載)
弔電
14期会の幹事の皆さま
今朝、大澤夫人から訃報を頂きました。昨夜静かに逝ったとのことです。奥山・中島両君と相談のうえ、「東京都立青山高等学校14期会」として弔電をうちました。
「大澤武彦君の訃報を受け、ご家族さまに心よりお悔やみを申し上げます。昨年11月の青高同期会で君が元気な声で2年後の再会を呼びか掛けていたことを幹事一同は今でも記憶しています。一生懸命駆け足で生きてきた君のご冥福を祈っています。さようなら 大澤君」
(編注: 2012年12月17日 23:06 に「青高37」メーリングリストを通して発信されたメールをそのまま転載)