山越さんの葬儀
本日(編注:2014年9月9日)の13:50に携帯の呼び出し音が鳴りました。表示は「青高山越」となっていましたので、「そうか退院したのか」と早合点して「おー」と言ったところ、「山越幸江の娘です」との言葉です。これですべてがわかってしまいます。
「今朝の6:30に息をひきとりました。亡くなる前に青高は斎藤さんに、と言われていました。」という言葉の続きに「通夜と告別式は」と話しだしたので、「お手数をかけますが、携帯のSMSメールで送って下さい」とお願いしました。
それによると
通 夜 9月13日(土)18:00から
告別式 9月14日(日)13:30から
◎通夜・告別式の場所はいずれも「吉祥寺カトリック教会」。住所電話番号は下記の通り。吉祥寺駅から徒歩5分だそうです。
住所:武蔵野市御殿山1-7-8
TEL:0422-44-0181
香典、供花、供物は、故人の遺志もあり固く辞退したい、とのことです。
昨年の今ごろは、クルーズ・クルーズの同期会のために元気に会計担当を務めていました。当日も受付を中心的に担い、会場内でも笑顔でたくさんの写真に登場しています。虫の知らせだったのでしょうか、最近渡辺さんの編集による14期のHPを幾度となく開いていたので、山越さんがあっちこっちで引っ張りだこになっていた様子を目にしていました。頑張っているのだろうな、との思いで。
携帯に8月11日のSMSメールが残っていました。「ありがとうございます。がんばります。」 これが最後のやりとりです。
通夜・告別式ですが、都合がつく方は行って下さい。小生は14日のほうに参列します。なお、青高14期会の名前で弔電をだします。過去に3件ありますので、ご了解をお願いします。
(編注: 2014年9月15日 22:54に「青校37幹事」メーリングリスト宛てに発信されたメールをそのまま転載)
この訃報は2014年9月9日 21:35付で斎藤繁(前)幹事長から投稿されたメール「件名: {青高37幹事722} 山越さんが亡くなりました」を転載したものです。但し、通夜・告別式に関する部分を編集。
山越さんの葬儀
幹事会の皆さま
13日の通夜には山越さんと広尾中学から一緒だった奥山さんが参列し、告別式には大沢達くんがすでに伝えたくれたとおり、幹事会からは別行動でしたが佐藤さんと我々6名とが参列しました。お名前とお顔はみませんでしたが、他に2~3名の同期生もいたようでした。
キリスト教の葬儀は初めてでしたが、司教の話と讃美歌が繰り返され、信者が神をたたえる言葉を斉唱するのですが、感動的でした。
約2時間のお別れ式でした。最後に参列者全員が山越さんのお棺に花を差入れました。彼女は実にきれいな顔をしていましたよ。出棺は14:40ごろ。
「皆さんと今度会うのは天国で」と言っていましたが、昨日彼女はこの世から姿を消してしまいました。弔電は12日にうっておきましたが、「東京都立青山高等学校14期会」と間違いなく紹介されました。
大澤くんに次いで同じ5組の山越さんを失ったわが幹事会、もう少しの間頑張って生き抜きましょう。11月に「偲ぶ会」をやりましょう。
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キリスト教に憧れをもった
斎藤 繁
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(編注: 2014年9月15日 22:54に「青校37幹事」メーリングリスト宛てに発信されたメールをそのまま転載)
故テレジア山越幸江さんを送る
故テレジア山越幸江さんへ
NHKの「花子とアン」を見ながら、いつもあなたを思い出していました。
東洋英和と聖心なら、どっちが偉いの。
あなたの故郷の群馬と花子の故郷の山梨って、どっちが田舎かしら。
なんて、くだらないことばかりでしたが。
あなたはドラマの途中で逝ってしまって・・・。どのあたりまでご覧になっていたの。
通夜はだめでしたけど、葬儀に参列させていただきました。
斎藤、大国、小野、丹羽、岡本、山内、諸氏と一緒でした。
賛美歌をいくつか歌いました。
ぼくの隣にいいソプラノがいて、「またあうひまで」の高音をよく鳴らしていました。
14期会の弔電も読まれました。心温まるもでした(斎藤が書いたものだと思います)。
最後にハンサムなご令息が挨拶。しっかりしたものでした。
いつかほめて上げてください。
「曲がり角の向こうに、なにがあるか、いまはわからないけど、きっと素晴らしいことが待っていると、信じることにしたわ」(『赤毛のアン』より)
Till we meet again.
達男
故山越幸江さんは、科学小説の翻訳家として活躍されていました。数あるお仕事のなかから『ケプラー疑惑』を読ませていただきました。天文、物理、化学、哲学、宗教、英・独・仏・ラテン語が混じるやっかいな本が、明解な日本語になっていました。
お礼の気持ちを伝えたくてプライベートな書評を書きました。気配りの故人から「あなたは輝いている」とお褒めいただきました。拙文ですが、みなさまにもご一読いただき、生前のご交遊に感謝し、故人を偲ぶ一助にしたいと思います。
「『ケプラー疑惑』に疑惑あり」 2013年4月 大沢達男
1、ケプラー
地球は、幾重ものもクリスタルの天球に、囲まれている。太陽、月、星は、その天球に貼付けられ、地球の周りを回っている。アリストテレス以来の人間が考える宇宙観を打ち破ったのがヨハネス・ケプラー(1571~1630)です。ケプラーは、ガラスの天球を粉粉に打ち砕きました。ケプラーの法則とは、1)惑星は太陽をひとつの焦点とする楕円軌道上を動く。2)惑星と太陽を結ぶ直線が単位時間に描く面積は、一定である。3)惑星の公転周期の2乗は、軌道の長半径の3乗に比例する。この3つの法則により、古代ギリシャ以来の常識は覆され、ニュートン以降の近代科学が始まります。
小説『ケプラー疑惑』(J.ギルダー・A.ギルダー著 山越幸江訳)があります。ケプラーの大発見は、観測や証拠に基づくアポステオリ(後天的)な推論から導かれたものではなく、本質的直感に基づくアプリオリ(先天的)な推論によってえられたものでした(前掲P.110)。しかし小説では、ケプラーは理論の裏付けが欲しくなり、先輩の天文学者のティコ・ブラーエの天体観測の結果を狙う。歴史はブラーエの業績にもっと注目すべきだ。さらに、ケプラーはブラーエの命を狙い、観測データを手に入れようとしたと、ケプラーに疑惑を目の投げかけるストーリーが展開されます。
2、神の論理
若いケプラーの考えた宇宙モデルがあります。それは天球とそれに内接する正多面体からなるものです。まず土星の天球がその中に立方体が、その中に内接する木星の天球がその中に正四面体が、その中に火星の天球がその中に正八面体が、その中に地球の天球がその中に正十二面体が、その中に金星の天球がそのなかに正二十面体が、その中に水星があるというものです。5つしか存在しない正立体と6つの惑星(当時はそう考えられていた)の関係。ケプラーはこの美しい発見に感動します。天文学とは神御自身の考えに参与するものでした。「幾何学は神の御心のうちにあって永遠に輝いている」と考えました(前掲P.106~P.110参照)。
しかしケプラーは神秘主義者ではありませんでした。その証拠に小説は、「宇宙についてもっとも理解できないのは、宇宙が理解できるということだ」というアインシュタインの言葉を紹介しています。
これが自然科学です。ロゴス(論理)とは神の言葉でした。神の意図は自然にありました。理性を通じて、神と対話することが、自然科学でした(橋爪大三郎『ふしぎなキリスト教』講談社P.314)。
3、セレンディピティ
なぜケプラーは、2000年近く続いた人類の常識を打ち破ることができたのでしょうか。『ケプラー疑惑』は、ブラーエの天体観測のデータがあったから、と説明しますが、それでは「アプリオリ」に発想したという説明にはなりません。問題は、セレンディピティ(偶然に発見する能力)がなぜケプラーに働いたかです。発見は、ロゴスではなく、パトス(情緒)とエロス(本能)によるものと考えられます。
第1に、ケプラーはプロテスタントの信仰を持っていました。宗教戦争でたえず追放され職を失う可能性がありました。追いつめられて生きていました。第2に、魔女裁判がありました。叔母は魔女として火刑にされ、母親も6年にわたる魔女裁判にかけられています。「魔法使いの女は、これを生かしおいてはならない」(出エジプト記22章18節)。ケプラーの身辺には生命の危険が絶えずありました。第3に、ケプラーはゲイでした。思春期には男子ばかりの神学校にいました。同性のクラスメートとの恋愛がありました。ケプラーはひと味違う官能の喜びを知っていました。
人間は、ヒトの脳(大脳新皮質)、ウマの脳(大脳旧皮質)、ワニの脳(大脳古皮質)を使って生きています。新皮質はロゴス、旧皮質はパトス、古皮質はエロスです。セレンディピティには、ロゴスだけでなく、パトス(情緒)さらにはエロス(本能)の働きが関与しています。プロテスタントとして監視され、母親が魔女としてにらまれ、他方でケプラー自身はゲイとして官能を開花させていた。ケプラーの人類史を変える大発見の秘密はここにあります。大脳の機能が総動員されるときに、セレンディピティが訪れアプリオリに発想でき、大発見がなされるのではないでしょうか。
医師失格の「ジャマナカ」・山中伸弥教授や嫌われ者のヨハネス・ケプラーだけが、神の御心を理解します。小説『ケプラー疑惑』には、最大のリスペクトを払いながらも、「疑惑」があります。
以上。
(編注: 2014年9月15日 16:19に「青校37幹事」メーリングリスト宛てに発信されたメールをそのまま転載)
山越さんのご冥福をお祈りいたします(大木より)
青高14期会、幹事のみなさんへ
ごぶさたしております。大木です。みなさま、お元気でお過ごしですか?
当方も何とか健康で、秋・冬野菜の植え付け準備(重労働)にいそしんでいます。
山越さんのご逝去、昨日農作業中に斉藤さんよりうかがいました。あまりにも早い逝き方に驚いています。
昨日は重陽・「菊の節句」。彼女の野辺送りに花を添えられたのがせめてもの慰めかと思います。
実は、きょう10日は同じように癌で急死した、我が妹の命日で、一日違いなのです。午前中墓参りに行ってきました。
妹は15日の誕生日を迎えられずに旅立ちました。毎年この数日は妹を偲んで過ごしています。
そんなわけで、偶然とはいえ、とても辛すぎてお葬式にはいけそうもありません。
昨日から、ウチの仏壇に香を供えて、ご冥福をお祈りしています。
あんなに元気だったのになぜ? と今でも思わずにはいられませんが、
山越さんから最後にいただいたメールを下記に掲げて、みなさんにも偲んでいただけたらと思います。
記
「大木様
もしかしたら、MLが何度も届いていないでしょうか?
私には新しく購入したウインドウズ7の使い方がどうしてもわからず、今日、息子に見てもらいましたところ、
同じメールが何度もMLに載っていることがわかりました。お恥ずかしい次第です。
大木様の農園の素敵な花のお写真ありがとうございました。温かい励ましの言葉に心から感謝いたしております。
本当にただただ感謝の念に満ちております。
私はボケと戦っております。頭が混乱しており、パソコンはもう二度と見たくありません。
山越幸江」
(編注: 2014年9月10日 19:10に幹事宛てに発信されたメールをそのまま転載)
幹事諸氏からの言葉(日時順にまとめました)
斉藤様 幹事会の皆様 <<<大賀より
亡くなるとは。大変ショックを受けております。御連絡有難うございました。
我々の年齢はまだ高齢とは言えない時代です。少し早すぎます。
ご冥福を祈ります。
残された人は注意深く楽しく生きようではありませんか。
中島君提案のミニ同窓会、又は忘年会? 何かあってもいいですね。
旅行へ出ますので、式には参加できません。失礼いたします。
(編注: 2014年9月10日 8:10に「青高37幹事」メーリングリストを通して発信されたメールをそのまま転載)
まさかの訃報に接し驚いております。
ただただご冥福をお祈りします。 合掌 !
なお 葬儀は失礼させていただきます。
宮河
(編注: 2014年9月10日 10:59に「青高37幹事」メーリングリストを通して発信されたメールをそのまま転載)
斉藤様
貴メール拝見、山越さんのご逝去、誠に残念です。お悔み申し上げます。半年前に突然、癌と診断され、戸惑いがあったようですが、快癒を期待して闘病生活をしてきたと思います。余りにも早い訃報に驚いています。人生、一寸先は闇のような気持ちです。
尚、小生も14日の告別式には参列するつもりですので、宜しくお願い致します。
丹羽一男
(編注: 2014年9月10日 11:05に「青高37幹事」メーリングリストを通して発信されたメールをそのまま転載)
山越さんのご冥福をこころよりお祈り申し上げます。
日曜日告別式に参列させていただきます。 大塚篤子
(編注: 2014年9月10日 13:29に「青高37幹事」メーリングリストを通して発信されたメールをそのまま転載)
今度の土日娘の予定が入っており、孫の面倒をみる都合上葬儀には出席できません。
山越さんのご冥福お祈りいたします。 藤森 聿子
(編注: 2014年9月12日 10:25に「青高37幹事」メーリングリストを通して発信されたメールをそのまま転載)
『私の夢は熊野古道』
2014年8月10日 14:46付のメールで「私の夢は熊野古道」と言っていた山越さん。『しばらくご無沙汰いたします』という言葉が永久の別れになろうとは ・・・合掌。2014年9月19日、山越さんの夢を想いつつ、自転車を押して熊野古道を歩きました。
***
渡辺さんはサイクリングでしょうが、私の夢は熊野古道なんです。
ところで、数日前に病状が急変して再入院し、昨日二泊三日の外出を許可されてこのメールを見ました。明日は病院に戻りますので次はいつ帰れるのか分かりません。しばらくご無沙汰いたします。
山越幸江